「学習」について中高生が考えたこと 番外編 ~集会記録より~

6月15日の全校講堂朝会では、「学習に精一杯取り組む」というタイトルでお話をしました。その際、これからの中高生に求められる力として、「例題」を出しました。参考にしたのは、石川一郎さんの著作「2020年の教師問題」です。

「もしあなたが○○だったら」という問いがアメリカでは頻繁に出されるけれど、そこに対処できる力を皆さんはつけていますか?と私は問いました。そして、ザビエルのイラストを見せて、問いを紹介しました。「あなたがザビエルのように知らない土地に行って、その土地の人々に何かを伝えようとする場合、どのようなことをしますか?」―――その問いに、集会記録提出者の中から学年を超えて様々なアイディアが出されました! 集会記録の番外編として、「私がザビエルなら」という疑問に答えを出した皆さんの感想部分をご紹介しましょう。

  • 仲間を5人ぐらい作って、現地の文化や言語を学び、その場所について詳しくなります。そして、現地の人と少しずつ世間話ができるようにして、そしたら仲間たちにキリスト教について話をしてもらい、興味を持ってもらって、次は自らキリスト教について説明していこうと思います。(中学1年)
  • もし私がザビエルで日本にキリスト教を広めるならという前提で話します。まずその地域の言語を習得します。そしてコミュニケーション力で国民達と仲を深めていきます。それとあまり善人面はしません。人間は欲望の生き物です。なのであんまりいい人過ぎると、国民の誰かが何か企んでいると勘付かれてしまう。何かを求める時は私は少しの見返りを要求します。これがキリスト教の広め方です。まず宗教とは人間の為の行事であり、人間を幸せにするための事です。なので食で苦しむ国民に食を与えてそのまま宗教に続行。民は心が弱まっているので恐らく目の前で演説でもしたら、民は簡単に宗教へと心を入れ替えます。私がザビエルならこういう行動をとっていたのかもしれません。(中学2年)
  • まずは第一印象が大事だと思うので笑顔でいます。そして怪しいものだと思われないように、なにかお土産を持参して渡します。そして、ザビエルもこのようにしたそうですが、相手の国の文化を前もってよく勉強しておき、尊重するべきだと思いました。相手の国の文化を何も知らない状態で行き、自分の国では普通なことをしたら、相手の国ではとても失礼なことっだったりするかもしれないので、そうなったらうまくキリスト教を広められないと思います。(高校1年)
  • もし私がザビエルで他の土地の人に布教するときは、まず、その土地の人々が信仰している宗教について知り、その宗教の良いところを探してその後、キリスト教とは何が違うのかを示すと思います。日々の生活の中で、相手のことを知ることがとても大切だということを目の当たりしているのでそう考えました。(高校2年)

いやあ、それぞれの「ザビエル」ぶりが楽しい回答ですね。

自分軸を持ち、学んだことを自分事として捉え、意見を表明できる姿勢が、全校に広まっていくことを期待しています。「○○は暗記科目」なんて言ってる科目こそ、深く考えるべきものではないでしょうか。