学園祭を挟んでなかなかご紹介できなかったのですが、
9月20日に行った高校の講堂朝会の集会記録が各学年から出され、読ませてもらいました。
20日の講堂朝会では、「ダルタニヤン物語」の紹介から始まって、
この名作を熱く語ってくださった、世界史の山口厚先生、
オーケストラ部を築き上げ、私たちに優しく温かく音楽の魅力を教えてくださった、31回生にとっては中学学年主任だった三上先生、
そして、私に、朗読の技術も、日本語の厳しさも、映画やテレビ番組の見方も、本当にいろいろなことを教えてくださった川合先生、
この3人の恩師の先生方のお話をしました。
感想の中には、「ダルタニヤン物語」を読んでみようかな、という嬉しい感想もたくさんあり、「ぜひ読んでみてね」とコメントしました。
果たして、山口先生から「後継者」と言っていただけた私の、その次に続いてくれる生徒は何人いるのでしょう。
読んだらぜひ感想を聞かせてくださいね。
そして、「忘れ得ぬ恩師」の話にはたくさん感想が書かれていました。
ちょっと紹介したいと思います。
4年生
今回のプロムナードコンサートの時、オーケストラ部を創部した三上先生が亡くなられたと聞きました。今回の講堂朝会を聞き、先生がオーケストラ部を熱心に支え続けてこられたことを知り、せっかくの50周年記念の演奏会を聴いていただけなくて、本当に残念だと思いました。ですから、50周年記念の演奏会は、いつも以上に練習して、いつも以上に心を込めて演奏したいなと思いました。
5年生
校長先生が三上先生のお話をしてくださった時、オーケストラ部に所属している私も、偉大な方がお亡くなりになられたのだと実感しました。50年前、三上先生が創られたオーケストラ部は、私にとってなくてはならないものです。私は部活を通して様々なことを学び、多くの仲間と出会うことができました。そして50周年という節目の年にいられることを誇りに思わなければいけないという使命感と共に、三上先生が空から私たちのことを見守ってくれているという感覚に抱かれました。先生がいたから、いま私たちは演奏できています。私は三上先生に会ってはいませんが、時を越えて、私の恩師であると思いました。
6年生
川合先生は日本語に厳しく、(アクセントが違うと)放送室に電話をかけてきて言い直させた、という話が面白かったです。遠州地方は、いろいろと頭にアクセントをつけて言うことが多いので、直さないといけない言葉がたくさんあったのではないかと思います。
川合先生は、言葉の使い方に厳しい先生で、だけど大庭先生のハキハキとした聞き取りやすい話し方は、川合先生から教わったのかなと思いました。視聴覚クラブの先生で、そのクラブに入っていた大庭先生がクラブでやっていた内容がすごいなと思いました。オーケストラ部のマネージャーの人のドキュメンタリーを見てみたいと思いました。
去年、学園祭当日に教室でヴァチカン市国についてお客様に説明していた時、一人の初老の男性がお越しになって、製作物をうなずきながらとても丁寧にご覧になっていたことを覚えています。その時は、この方が誰であるかということも私は知らなかったのですが、後になって配られたPTA誌「ふれあい」に、その時の写真が載っており、下に「変わらぬ恩師の姿! 山口先生」と書かれていました。西遠の先生であったということを初めて知った瞬間でしたが、後に母から世界史の先生であったということを聞かされ、たぶん去年の時点で知っていたなら、山口先生を目の前にして、緊張でうまく説明できなかっただろうなと思います。
西遠という学校に長い歴史があることは知っていますが、その西遠の先生にも私たちは知らない長い歴史があるということを感じました。山口先生、三上先生、川合先生をはじめとする先生方に大庭先生は教わり、大庭先生に今の自分たちが教わっているという、今まで続いてきてこれからも続いていく歴史の一点に自分がいられるのは、すごいことだと思います。多くの先生方から学ぶことのできる今の自分の状況に感謝して、残り西遠の生活は半年ですが、真面目に楽しく授業を受けたいと感じました。
一人一人の感想文に、うんうんと相槌を打ちながら読み進めましたが、
オーケストラ部の生徒はしっかりと三上先生の思いを受け止めているし、
私の話し方や朗読には川合先生の教えが生きていることを、聞いている皆さんもちゃんと感じ取ってくれているし、
山口先生の生徒や西遠への温かいまなざしは、こうして実際に学園祭で受け止めた生徒がいるのだということが判明しましたし、
また、ここには掲載していませんが、自身の小学校時代の恩師にどんなに素晴らしい教えを受け、それを実践しているかを書いてくれた生徒も何人もいました。
ですから、集会記録の点検がいつもにもまして、心が温かくなったり熱いものが込み上げてきたりする、そんなステキな時間となりました。
私にとって忘れ得ぬ恩師は、この3人の先生方をはじめとして、西遠にも、小学校時代にも、そして大学時代にも、本当にたくさんいます。
小学校5・6年の担任だった杉山先生のことは、10月4日の恩師謝恩会の席でも1年生にお話しましたが、
杉山先生がいらっしゃらなかったら、私は国語の教員にはなっていなかったでしょう。
大学時代には、近代詩の阿毛先生に3年次からゼミでお世話になりました。
そのもっと前の1年の生物学で教わった森江先生には、学科を完全に超えて、今もお手紙をやりとりさせていただき、常に励ましていただいています。
そして、もちろん西遠時代にお世話になった先生方!
今の私があるのは、こうした恩師の先生方の存在のおかげです。
そのことを、今回の講堂朝会を契機にして、改めて感じている私です。
最後にこんな感想をご紹介します。
5年生
生き生きと中学・高校時代について語る校長先生を見て、今の生活は人生の中でかなり大事な時間であることを実感し、日々の生活を大事に過ごしていこうと思いました。
6年生
私も西遠に来て、たくさんのステキな先生に出会いました。「卒業しても学校に来ればいつでも先生に会える」というのは、私立だからこそなのだと初めて気づき、同時にすごく貴重なことだなと思いました。最近、卒業した先輩がたを学校でよく見ますが、私も卒業したら、ぜひ西遠を訪ねたいです。先生に限らず、私に影響を与えてくれる先輩やと友達との出会いに感謝し、そういう人を大事にしていきたいです。
そうです、生徒の皆さんには、まさに「今」を大切に生きてほしいと思います。