生徒の皆さん、西遠の大先輩「小百合葉子(さゆり ようこ)さん」を知っていますか?
劇団たんぽぽの創始者であり、戦後の日本で全国の子どもたちに演劇を届け、たくさんの子どもたちの心を育んだ方です。
郷土の偉人である小百合葉子さんの特別収蔵展が、クリエイト浜松5階の「浜松文芸館 展示室」で始まっています。小百合葉子さん、児童文学作家 那須田稔さんお二人の回顧展『子どもたちのために』です。
西遠の大先輩の回顧展、ぜひ生徒の皆さんにも夏休みを利用して足を運んでもらいたいと思っています。そのためにも、小百合葉子さんについて、今日は皆さんに知ってもらいたいと思います。
小百合葉子さんのことを、私は2020年7月に発行された「友情」289号の巻頭言に書きました。ちょうどコロナ禍が始まった年、誰もがとてもつらかった時期のものです。ちょっと長くなりますが、西遠と小百合葉子さんとの絆の分かる文章ですので、ぜひお読みください。
劇団たんぽぽと西遠 (2020年7月発行 学校誌「友情」289号巻頭言)
新型コロナウィルス感染拡大にいま世界中が揺れに揺れている。医療はもちろん、経済、教育、文化…、ありとあらゆる分野がコロナ以前の「当たり前」を取り戻せない事態に陥り、苦境に立たされている。
そんな中で、地元浜松の児童劇団が存続の危機にある。浜松市を本拠地とし、全国各地を回ってたくさんの子どもたちに夢を与え続けている「劇団たんぽぽ」である。
この「たんぽぽ」が西遠とゆかりの深い劇団であることを今の生徒たちはどれくらい知っているだろう。
劇団たんぽぽは、太平洋戦争が終わった翌年、長野でその産声を上げた。創設者は小百合葉子(本名山下みゑ)。浜松実科高等女学校(現静岡県西遠女子学園)の卒業生である。
小百合さんは、1901年に現在の浜松市北区滝沢町に生まれ、西遠では寄宿舎に入り、創立者岡本巌・欽先生ご夫妻に厳しくも温かい指導を受けた。教師への夢を抱いた小百合さんだったが、私生児であるがゆえにその夢を諦めなくてはならなかった。「日本一の不良になる!退学する!」と自暴自棄になった小百合さんを踏み止まらせたのは巌先生であった。「日本一などとけちなことを言わず世界一の不良になりなさい。そのためには女学校を立派に卒業しなさい。応援するよ。」巌先生の言葉に励まされ、彼女は西遠を卒業した。その後、幾多の辛酸をなめ、新劇女優として成功を収めた小百合さんは、疎開先の長野兼松本市で終戦を迎えた。戦争で傷ついた子どもたちを笑顔にしたい、という小百合さんの思いが、児童演劇の劇団創設という形になった。踏まれても踏まれても大地にしっかりと根を張って咲くたんぽぽが劇団名の由来である。1953年、劇団たんぽぽは浜松市に拠点を移し、積極的に全国各地を回るようになった。本土復帰前の沖縄への公演を打診された時にも、小百合さんは公園実現に奔走し、度重なる困難を乗り越えて公演を実現させた。小百合さんの不屈の精神は野に咲くたんぽぽそのものである。
沖縄への公演を実現させる途中で、小百合さんと劇団を大きな災難が襲った。1963年、篠ケ瀬町の劇団道場が火事で全焼したのだ。小百合さんは劇団員と共に沼津にいた。火事の一報を聞いた小百合さんは、動揺する自身を抑え、今夜は沼津に泊って明朝浜松に帰ろうと心に決めたのだそうだ。そんな小百合さんを動かしたのが、西遠の校長岡本富郎先生からの電話だった。「心配して見舞ってくれる人に、代表者のあなたがいないのでは済まない。まず挨拶もし、お礼も言って、それから先のことを考えなさい」。富郎先生の言葉が心に響いた小百合さんは、深夜、車を飛ばして浜松へ向かった。まだ東名高速などない時代のことである。
私が西遠の生徒だった頃、劇団たんぽぽは西遠の東隣の道場で稽古をしていた。それもこの火事の後、学園理事の鈴木初蔵氏から旧宅の提供を受けてのことであった。小百合さんが困難に行く手を阻まれた時、そこには巌先生や富郎先生、そして西遠ゆかりの方々が背中を押していたのである。富郎先生は講堂朝会でよく小百合さんのお話をしてくださった。先生のお話を聞きながら、劇団たんぽぽを築いた大先輩が西遠出身だということに誇らしい思いを抱いたことをよく覚えている。
小百合さんは1986年1月、浜松労災病院で急逝した。その前年大晦日に、岡本富郎先生が亡くなり、学園が深い悲しみの中にある時だった。1月11日に岡本富郎先生学園葬が行われた岡本記念講堂は、その八日後、小百合葉子さんの劇団葬の会場となった。「友情」158号には、富郎先生と小百合さんお二人の追悼のページが作られた。岡本巌先生の薫陶を受け、女子教育と児童演劇というそれぞれの道で、未来を生きる子どもたちのために尽力した「同志」のようなお二人であった。
劇団たんぽぽの舞台に感動や勇気をもらった人々は多い。たんぽぽ存続の危機に、小百合さんの後輩である私たちにできることとは一体何だろうか。
参考文献「小百合葉子と『たんぽぽ』」本田節子著(東海大学出版会)
最後の書いた「私たちにできること」、実はこの「友情」が出版される前に、当時の中学生徒会が中心になって動き出してくれたのでした。2020年6月に全校規模で募金活動を行い、募金を劇団にお届けしました。劇団の皆さんに大変喜んでいただけたことは、私たちにとっても大きな喜びになりました。
この間のことは、校長ブログでも取り上げています。
2020年4月 劇団たんぽぽと西遠
2020年6月 今年度最初の講堂朝会 緊急募金「劇団たんぽぽを応援しよう」、始まる 今日から一斉登校です 劇団たんぽぽ訪問報告
小百合葉子さんの蒔いた「たんぽぽの種」は、戦争が終わった焼け野原の時代から令和の今に至るまで、各地の子どもたちの心を優しく温かく育て、今、日本中に「たんぽぽの花」が咲いています。西遠生もまた「たんぽぽの花」ですね。
この夏、どうぞクリエイト浜松で、大先輩の生涯をたどってみてください。
また「劇団たんぽぽ」の舞台をぜひご覧くださいね! 8月10日には、第15回 劇団たんぽぽ公演会in磐田市アミューズ豊田『ルドルフとイッパイアッテナ』の公演もありますよ!