夏休み中、図書館開館日やイベント日には、白板ささやかに飾っております。図書館の入り口で白板を見かけたら、読んでくださいね。
8月6日(火)
いっそまったく違う街になってしまえば 何度も何度も咲く夾竹桃
谷村はるか
2021年に購入した歌集「ドームの骨の隙間の空に」(谷村はるか)より。歌集タイトルの「ドーム」とは、広島の原爆ドームを指します。やはり8月の広島原爆の日が近づくと、彼女の短歌が頭に浮かびます。そして、今年の8月6日の平和祈念式典でも、平和公園の風景の中に、紅色の夾竹桃(きょうちくとう)が咲いていました。毎夏うだるような暑さの中で咲く夾竹桃の花が、広島では原爆の日が近づいたことを教えてくれる花なかもしれません。平和を一心に祈る人、核の恐ろしさに身震いする人、思い出したくない過去と向かい合う人…。誰もが広島では、忘れてはならない歴史と向き合っているのだと思います。
8月8日(木)
あす死ぬと知りし特攻あす死ぬと知らざりし父原爆前夜
大竹幾久子
明日は長崎原爆の日、という8月8日にこの歌を載せました。作者の父親は、原爆の犠牲となったのでしょう。特攻で死ぬと分かって飛び立った若者たちの悲劇、ささやかな日常が突然断たれるとも知らずに過ごしていた市井の人々…。その対照が重すぎます。
この短歌に出会ったとき、ある映画のことを思い出しました。井上光晴原作の映画「TOMORROW 明日」はまさに長崎に原爆の落とされる前日を切り取った映画として1988年に公開されました。私は怖くて見られませんでした。戦時下にあっても一人一人に小さな幸せや希望がある、そんな人々を翌日原爆が襲うなんて…と。79年前の8月8日、長崎の人々はまさに「あす死ぬと知らざりし」人々ばかりだったのです。
8月9日、長崎原爆の日。11時2分を、私は100周年グラウンドで迎えました。陸上部の生徒たちが集まって黙祷する姿をカメラに収め、私も目を閉じました。
その少し前、水のまかれたタータンの上にひらひらとアゲハチョウが舞い飛んでいました。しなやかで軽やかだけれど確実なチョウの羽ばたきを見た時、私はずしんと「命」を感じました。
校長室に戻って、一人、長崎平和宣言を聞き、被爆者代表の体験を聞き、小学生の歌声を聞きました。長崎の鈴木史朗市長は被爆Ⅱ世です。彼の読み上げた平和宣言の中で、被爆者で詩人の福田須磨子(1922~74年)さんの詩「原爆を作る人々に」が紹介されました。苦しみの中で平和を求め続けてきた長崎の人々の思いを、私たちは受け止めなくてはなりません。戦争や虐殺が今日も報じられていることへの「NO!」を突きつけなくてはならないのです。
「小さな白板」次は13日の第59回卒業生の同窓会の日に掲げます。59回卒の皆様との再会を楽しみにしております。