2024年10月11日午後6時、今年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与されることが発表されました。
昨日、ノーベル平和賞の発表の瞬間を、私は偶然車のテレビで見て、「すごい‼」と感激でいっぱいになりました。
「日本被団協」という日本語が、ノーベル委員会の発表で私にも確かに聞こえました。 広島県被団協の箕牧さんがほっぺたをつねりながら泣いておられます。横で、高校生の平和大使の方々が驚きと喜びの表情で顔を見合わせています。その映像を見ながら、「よかった、よかった」と思わず涙が出ました。
被団協設立から68年。この平和賞の発表の日は、毎年記者団に囲まれていたのでしょう。遅すぎた授賞なのかもしれません、しかし、ロシアやイスラエルが核攻撃をちらつかせている現在の世界情勢が、被爆者の皆さんの活動を今こそ大切なもの、かけがえのないものとして認定し、世界に訴えてくれたのだと思います。核なき世界を目指して、被爆者の皆さんが声を挙げ続け、それを若い世代も継承するという草の根の地味だけれど確実な活動は、ノーベル平和賞に本当にふさわしいと思います。声を挙げ続け、すでに亡くなられた被爆者の方々はあまりにも多い。その方々もきっと天上で喜ばれていることでしょう。西遠生が研修旅行先で毎年被爆体験を聴かせていただいた和田耕一さんもまた、天国で喜んでおられることと思います。
西遠生に長くその被爆体験をお話しくださった長崎の和田耕一さんは、2021年7月6日に94歳でこの世を去られました。和田さんは生前、学園を訪れ、平和の象徴として一本のクスノキを植えてくださいました。被爆クスノキ2世です。和田さんがこの学園に植えてくださった一本の木が、ローズガーデンで大きく葉を茂らせ、私たちに平和を尊ぶ心を教えてくれています。和田さんの想いを継承していくのは、西遠生の大事な使命だと思っています。
被団協の皆さんのノーベル平和賞受賞を心からお祝いすると共に、若い世代が引き継いでいくということを私たち自身のこととして重く受け止め、西遠の平和教育をもっともっと深めていきたいと心から思いました。今月末には、高校2年生が九州研修旅行に向かいます。長崎の地でこの平和賞受賞のニュースをもっともっと重く受け止めてくれることと信じています。