昨日午後、私は地元中野町のあるイベントに参加していました。それは・・・「なかのまちのお話し会」です。
語り部の佐口ふさ子さんは、昭和4年生まれの西遠の大先輩、しかも私の亡き父の同級生です。そうしたご縁で、私は佐口さんのお話を聞く「聞き手」を担当することになりました。
昨日は、「お話し会」第1回目でした。場所は、「食処 楓」。…そうです、5年月組がHR展『こども食堂、元気の秘訣』で取材をした「中ノ町げんき食堂」が開かれているところです。
佐口さんは中野町に生まれ、育ち、そして、地元で結婚されて、ずーーーーーっと中野町に住んでいらっしゃるので、いわば中野町の生き字引です。大事なお話は録画録音されることになり、机の上にはマイクなどが並んでいます。
13時30分、お話し会が始まりました。会場に集まった30人ほどの皆さんは、中学生からご高齢の方まで多彩な顔ぶれです。皆さんには、考える会特製の年表と昭和初期の中野町界隈の地図が配られました。
皆さんの前で中野町の歴史が色鮮やかによみがえります。天竜川のたもと「材木の街」として、製材を中心とした中野町には、様々なお店や施設がありました。製材工場、旅館、銭湯、造り酒屋、銀行、料亭、洋食屋さん、呉服屋さん、タンス屋さん、八百屋さん、豆腐屋さん、駄菓子屋さん、カフェにビリヤード場、芝居小屋、プール・・・。聴けば聞くほど、なんて豪華なラインナップ! 軽便鉄道に、中ノ町タクシー、木炭バスの話も出ました。いかだに帆掛け船、投網の船まで、天竜川の光景も次々に語られます。
大庭「『天竜座』という芝居小屋には、佐口さんも実際に見に行かれたのですか?」
佐口さん「毎日行ってましたよ!天竜座は、有名な金毘羅座とか明治村の呉服座とおんなじ作りで、2階席もありましたね。回り舞台もありましたよ。お芝居が終わるとね、向かいのうどん屋さんで皆さんうどんを食べて帰るんです。」
会場から質問「どんなおうどんがあったんですか?」
佐口さん「そりゃ、素うどんよ(笑)! 油揚げが乗ってるぐらいだったかしらね。」
佐口さんの語る昔の街並み、街の活気に、私も会場の皆さんも、なんども「へー!」「わぁー!」「すごいねえ」と驚いたり感激したり。施設によっては、小さい頃に見た!行った!と実際に覚えている方もいらして、会場からどんどん声が上がります。それに佐口さんが解説を加えてくださって、昔の中野町がどんどん息づいてくるような、あっという間の90分でした。
次回は11月10日(日)に行われます。今度は、尋常小学校のお話や災害に関するお話をメインに伺います。実は、佐口さんは動員学徒を経験された学年ですので、戦争中のお話、西遠のお話もお聴きできるかと思います。
もし「お話し会」にご興味のある方がいらっしゃいましたら、右のQRコードからお申し込みください! 第2回、まだ若干お席の余裕はあるようです。