【訃報】鈴木稔先生ご逝去
本校に長くお勤めくださいました鈴木稔先生が、本日11月20日ご逝去されました。国語科教諭として昭和40年に着任した稔先生は、38年の長きにわたり、西遠の女子教育に情熱を傾けられ、特に進学指導には定評がありました。平成4年からは教頭先生として、教員を先導してくださいました。突然の訃報に接し、信じられない思いです。稔先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
稔先生は、私にとって「元上司」でもありますが、その前に、高校3年間のクラス担任としてご指導いただいた「恩師」です。中学2年生の時に国語の授業も持っていただきましたので、西遠6年間の三分の二は、稔先生の国語の授業を受けておりました。先生に教わった「我が愛する詩人の伝記」「陰影礼賛」「更級物語」「万葉・古今・新古今」…思い出します。勉強不足で叱られたこと多数、近寄りがたい担任でした。漱石の感想文の手抜きを注意されたこともありました。進路の面接では毎回辛らつな言葉をいただき、へこんだものです(へこみながらも、褒めてくださった一筋の光明だけ覚えていようというちゃっかりした生徒でした)。小論文でも答辞の書き方でも、ダメだ、下手だと叱られ続け、やさぐれながらも何とか仕上げ、最後の最後に「言うことなし」と褒めていただいたことは、高校一番の思い出です。「言うことなし」ですべての苦労は消えるものですね。
私は全く良い生徒ではありませんでしたが、そんな劣等生の教え子が大学卒業後、今度は同じ職員室で働くことになり、先生はさぞ困惑されたことでしょう。劣等生だったオオバは、今度は教員としてのいろはを稔先生から教えていただき、長く長くお世話になりました。
国語の指導教官として、新任の頃は教材研究のアドバイスをいただくこともしばしばあり、テストの作題は殊に厳しくご指導いただきました。エクセルできれいに作成できるようになった解答用紙は、稔先生の薫陶の賜です。学生時代にご指導いただいた小論文、教員になってからは、公文書などの文書作成でご指導いただくようになりました。稔教頭に作成した文書を持っていくと、文言にビシバシ朱を入れて返されました。今、私が先生方の文書の点検をしているのは、稔先生にしていただいたことの継承であり、次の先生方へ稔先生のご指導を伝えているにすぎません。
学園祭にも燃えた先生でした。HR展で「星の王子さま」「絶滅動物」と私のクラスが入賞した時には、目を細め、わがことのように喜んでくださいました。「この入賞が来年は学年全体に広がるようにしなくちゃだめだぞ」と叱咤激励してくださったこともありました。
ご一緒させていただいた「ディズニーカルチャーツアー」では、オープンしたばかりのディズニーシーで、施設の造形一つ一つを丹念に観察しながら、何度も感嘆の声をあげていらっしゃったことを覚えています。「学園祭の参考になるなあ」と目を細めながら話していらっしゃいました。あの日、「センターオブジアース」に稔先生、清水愛先生、私の3人で乗って大騒ぎしたことも、「マジカルランプシアター」で稔先生が「そこのお父さん!ちゃんと声出してください!」とマジシャンから指名されたことも、先生の笑顔と共に甦ります。
寂しくて悲しい夜なのに、稔先生の笑顔とジョーク、楽しいエピソードばかり思い出しています。先生、本当に長い間、ありがとうございました。心から感謝致します。