昨日、一冊の本をお借りしました。その名も「セーラー服の誕生 女子校制服の近代史」という本です。筆者の刑部芳則さんは、大河ドラマ「西郷どん」で軍装・洋装考証をされるなどご活躍の方です。分厚いその本には…、西遠高女の名前もありました!
昭和7年にセーラー服、襟に黄金線とありますね。
西遠の100周年記念誌にも制服の変遷が載っています。袴姿の明治・大正、そして、昭和(戦前)のページに、黄色いラインのセーラー服が登場します。まさしく昭和7年、西遠のセーラー服が誕生したのです。
「黄金線」すなわち「黄色いライン」の制服の写真をもう少しアップしてみましょう。
黄色いラインの下、胸元には「黒絹のネクタイ」もありました。ずいぶん大きなネクタイ(スカーフ)ですね。このネクタイが、今ないのは何故でしょうか。
西遠公式サイトには、「戦後70年 西遠の記憶」というページがあります。約10年前に開設した、西遠関係者の戦争体験を記録しているぺージです。その中の一つ「学徒動員の戦争体験」で、西遠高等女学校 第34回卒業生の吉田安子さん(下の写真、右の女性)が次のように語っています。
吉田:昭和18年に2年生になって、何月ごろでしたか、ある時、運動場にみんな並んだ時に、内田先生が「ネクタイを変えなければいけない」と説明してくださってね、昔は制服に黒いネクタイをしていたんですが、その時にネクタイが廃止になって、現在のボタン式(※くるみボタン)になったんです。
そうです。戦時中、絹のスカーフは供出しなくてはならなくなり、胸元の新しいデザインとして、布でくるんだ「くるみボタン」が採用されたのです。
戦争により、女学生の制服も大きな変化を余儀なくされたのでした。「セーラー服の誕生」の本にも、襟がセーラーからへちま襟に変わってしまったがっかりしたという戦時中の女学生の声を紹介しています。スカートも、モンペへと変わりました。
100周年誌の次のページに、戦時中の服装として、セーラー服とズボン(モンペ)が登場します。
私自身もセーラー服を着た歴史の一部に入っているのですから、誕生や変遷は気になるところ。
お借りした分厚いこの本「セーラー服の誕生」に、私も興味津々です。