昨日、アクトのコングレスセンターで行われた講演会を聴講しました。
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「わたしが見た戦争と平和、核の威嚇」というタイトルの講演会です。講師は、NHK長崎放送局の記者 古山彰子さん。ジャーナリストとして、広島、長崎、キーウを取材した古山さんのお話に興味を持ち、参加申し込みをしました。
講演会会場は、私よりも年上の皆さんが大半を占め、開会を待っています。若い人の参加が少なかったのは残念ですが、西遠の場合、テスト前日ですから「行こうよ」と生徒を誘えなかったこともあり、自分が西遠を代表して聴いてくるぞという意気込みで参加したのでした。
古山さんは、浜松市出身です。海の星高校を卒業後、同志社大学時代にフランス留学をし、その時訪れた難民施設での体験から、ジャーナリストを目指したのだそうです。NHK入局後は、広島→東京→パリ→東京と、国際報道の現場でも活躍され、2024年9月に長崎に赴任したそうです。
長崎では日本被団協のノーベル平和賞受賞が発表されたのが10月でしたから、古山さんの赴任はとてもタイムリーだったことがわかります。12月には平和賞の授賞式の行われたオスロに飛んで取材、授賞スピーチをされた田中煕巳さんのエピソードも明かされ、広島時代から長いこと被団協の取材を続けてきた記者ならではのお話を聞くことができました。
被爆者の方々への取材活動がいくつか紹介されましたが、その中にはもう亡くなられた被爆者の方もいらして、その方々の功績を紹介する古山さんのお話に、自分自身にできる「継承」について考えさせられました。
ウクライナの首都キーウでの取材のお話も、実際に古山さんが体験した重みを感じるものでした。18歳から60歳の男性は原則出国禁止というウクライナでは、家族が出国し、たった一人でクリスマスを迎える男性も多くいるというお話、逆に18歳に近づく息子を帰国させるのかなどの話題は、ウクライナの人々の苦悩を感じさせるものでした。
古山さんは最後に「核兵器の問題は、自分には関係ないと思いがちだが、ひとたび核兵器が使われれば甚大な被害は免れない。また、核の傘の下にいるということで、他国を苦しめることもあるかもしれない。原爆の苦しみを知っているはずの日本がどうすべきか、皆さんも考え続けてください」と静かに訴え、90分間の講演が終わりました。
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今年は、戦争が終わって80年という節目の年です。古山さんのお話を聞くことができ、西遠の平和教育をどうしていくべきか、また考えさせられました。古山さんのお話は、今度の講堂朝会でも紹介したいなと思っています。