小さな白板2025 第15週

4月も大詰めです。21日からPTA総会の26日までの白板を振り返ります。

4月21日(月)
ライト浴び壁に影なす阿修羅像六本の手の絡まりて見ゆ
       春日いづみ

私の亡き父は、広隆寺の弥勒菩薩像と共に、興福寺の阿修羅像をこよなく愛しておりました。応接間の壁に阿修羅像の大きな写真を飾り、よくできた木製の阿修羅像を飾り棚に飾って、照明まで施していました。初めて我が家を訪れた人の中には、3つも顔を持つ阿修羅の迫力を不気味に思われたお客様も多かったかもしれません。しかし、幼いころから阿修羅像が身近にあったわが家族には、この仏像の美は、ほぼ日常の中にあった美でした。と、そんなことを考えながら、週明けの白板に「阿修羅」登場の短歌を紹介してみました。皆さんには、好きな仏像がありますか?

4月22日(火)
平和は可能だという希望に、わたしたちが立ち返ることができますように
     フランシスコ教皇

ローマ教皇フランシスコ死去の報には絶句しました、。イースターのミサに登場したばかりで、お病気も快方に向かわれたのだと思っていた矢先だったからです。最後の最後まで、ガザやウクライナの人々の窮状に胸を痛め、平和を希求した教皇様でした。死の前日のこのメッセージに、私たちは真摯に向かい合わねばならないと思います。

4月23日(水)
さびしいとさみしいがすれちがふごとし春の雨ふる横断歩道
       小島ゆかり

春の雨に、「さびしいとさみしいがすれちがふごとし」と感じる作者。皆さんは春の雨に何を感じますか。
雨の朝、この短歌を白板に書きました。春の雨にもいろいろありますが、この日の雨は音を立てて降っていたので、ちょっとこの歌の風情とは異なったかもしれません。
ちょうど、NHKで気象予報士の方が「今日の雨は、黒雨(こくう)ですね」と言っていましたが、「黒雨」は空が暗くなるほどの大雨だそうです。春から初夏の雨には、「桜流し」「緑雨」などという雨もあり、日本の雨の呼び名は本当に豊かなのだと感じました。

4月24日(木)
をさなごのポケットの底いつもある きんの砂粒、ぎんの砂粒
       斎藤美衣

齋藤美衣さんの歌集「世界を信じる」には、心に残る短歌がたくさんあります。
子どものポケットにはその日の収穫物がいっぱい詰まっています。砂粒もまた、子どもの発見と収穫の賜なのでしょう。子どもの輝くまなざしが想像できますね。「きん」「ぎん」という表現は、小さき者への愛あるまなざしそのもののように思われました。

4月25日(金)
やすらかに房を伸ばして夕暮れの藤の地球を信じるちから
       服部真里子

藤の花房が垂れ下がる季節を迎えました。薄紫色の藤の花が長く房を垂らしている夕暮れ時に、作者は藤と出会ったのでしょうか。目の前の藤に「地球を信じるちから」というスケールの大きなものを想像する作者の表現に驚かされました。
しかし、考えてみれば花や木は「自然」の風物。地球という星に咲く様々な花は、それぞれに「地球を信じ」て咲いているのだ、花は「地球を信じるちから」の表れなのか…と、考えさせられました。

4月26日(土)
指さして子にものの名を言うときはそこにあるものみなうつくしき
       早川志織

今、俵万智さんの新刊「生きる言葉」を読んでいます。本には、俵万智さんが子育てをする中で、幼い息子さんが言葉を覚えて、その名を呼ぶ瞬間も紹介されていて、この短歌とシンクロしました。
この短歌は、与謝野晶子の「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」を意識して作られた一首ではないでしょうか。本歌取りですね。与謝野晶子は京都の夜の華やぎを歌いましたが、早川さんの短歌にあるのは、子育ての中で出会う美しさ、言葉の輝きではないでしょうか。