つわぶき


我が家で11月の花と言ったら、「つわぶき」なのです。
庭のあちこちに黄色い花が一斉に咲きます。
大庭家にはツワブキに共通の思い出がある、と以前書きました。
そのことは、今日書こうとずっと思っておりました。
それは、今日が私の祖母の命日だからです。
私の祖母は、大庭可能(かの)と言います。
長く浜松市の婦人会の会長を務め、
西遠のPTA会長も務めさせていただいた時期があります。
もちろん、そういう対外的・社会的な貢献については、幼い頃には理解していませんでしたので、
私にとって祖母は、いつもいろんなところに出かけて行って、よく旅行に行って家をあけるし、社交的で、忙しそうだけれど楽しそうで、たくさんたくさん知り合いやお友達がいる人、というイメージでした。
そして、私は長女でしたので、幼稚園の遠足と言えば祖母が来るものと決まっていて、妹や弟がいるから、そういうもんだと思っていました。
小学校に入ってからは、朝食の準備に忙しい母の代わりに、私の長い髪を毎朝結ってくれていました。
祖母の鏡台の前に数分間座って祖母に髪を結ってもらうのが、日課でした。
西遠に入ってからは、三つ編みもお願いしてました。
自分で髪をうまく縛れなかった不器用な私は、中1の水泳の授業の直前に髪をバッサリ切りましたので、鏡台を介しての触れ合いは12歳の6月で終わりました。
祖母は、当時西遠の「結婚相談部」というところに属していましたので、1ヶ月に一度は西遠を訪ねていました。
学校で会うことはほとんどなかったですが、西遠とつながりがある祖母を持ったことは私にはちょっとした誇りでもありました。
ですから、体育祭(当時は体育大会という名称ではありませんでした)の本部席に祖母がいるのを見ると、嬉しかったものです。
そんな祖母が病に倒れたのは、私が高校1年の夏休みでした。
一年3ケ月の闘病生活を経て、1977年の11月9日に亡くなりました。
その時、我が家の庭にたくさん咲いていたのが、ツワブキです。
ツワブキを見ると、ああ、祖母の命日が近づいたのだなと思うのです。
西遠に就職して、中断期はありますが、30年余。
こうして校長を務めさせていただいている現在も、
祖母の名前・祖母の存在に助けられることが多々あります。
夫を早くに亡くし、女手一つで子供達を育て上げたばかりでなく、社会へもさまざまな形で貢献していた祖母が、今も私を守ってくれているのだなあとしみじみ思います。

昨日の夜遅く、息子夫婦に赤ちゃんが誕生したとの知らせが届き、
私は慌てて11時過ぎに産院に向かいました。
初めて訪ねた産院の玄関わきに、黄色いツワブキが咲いていました。
黄色い花が、玄関の電燈に照らされて、輝いて見えました。
私にとって初孫になる赤ちゃんに初めて会って、
その小さな、でもとっても元気な命にいとおしさを感じ、
母子ともに元気であることに奇跡のような幸せを感じ、
日付をまたいで9日を迎えてから、新米おばあちゃんは産院を出ました。
もう一人の新米おばあちゃんと一緒に、ツワブキを眺めました。
ツワブキの花と、こうこうと照らすお月さまに見守られて、
息子を家に送り、家路につくことができました。
今まで祖母の思い出となっていたツワブキの花。
今年からは、新しい生命・新しい家族の象徴として、
大庭家にとって新たな、明るい意味を持つ花になるんだなあ・・・と、しみじみ家族と話しています。