本日、中学入試の二日目でした。
面接試験がありました。
受験生の皆様、保護者の皆様、お疲れ様でした。
センター試験も終盤です。
6年生、そして捲土重来の受験生たちの健闘を最後まで祈ります。
さて、昨年のうちに行われた中学講堂朝会の感想を、越年の上、最近になってやっと生徒の皆さんに返却しました。
大変遅くなってしまい、申し訳なかったのですが、
中学生の皆さんが「平和について」「差別について」「読書について」等々、真剣に考えてくれたことがとてもうれしく、
その感想をまた掲載したいなと思っておりました。
今日は、満を持して…、掲載します。
「アンネの日記」のこと、シンドラーや杉原千畝さん、小辻節三さんなど、彼女たちなりに一生懸命受けとめてくれたことがうかがわれます。
「続き」をご覧ください。
(1年生の感想)
人の命を救ったり、人を助けたりすることは、簡単ではないし、自分の何かを削らなければならないけれど、とても勇気のある行動ですごいと思います。私も困っている人がいたらすぐに助けることのできる人間になりたいなと今日お話を聞いて改めて思いました。今日のお話に出てきた、ユダヤ人を助けた4人の人物は、本当に努力をした人たちだし、その後苦しい思いもしていますが、6000人ものユダヤ人の命を救いました。殺されたユダヤ人は600万人以上、救ったのは6000人だけれど、その人たちが助けなければ6000人のユダヤ人も殺されていた。そのことを考えると、一人の力は小さいけれど無力ではないんだなと思いました。(中略)人は殺すものではなく、助けるものだという考えを世界中の人が持ってほしいと思います。そうすれば、紛争や殺人事件のニュースもなくなるのではないかなと思います。日本にも戦争という悲しい過去がある中で、当時の戦争について知っている人が少なくなってきています。語り継ぎ、私たちの子孫に伝えていくのが、これからの社会を担う私たちの役目かなと思います。
(2年生の感想)
私はアンネが自分よりずっと年上のように思えました。「もし自分がアンネだったら」と考えると、私とアンネとの差が痛いほどわかります。私がアンネだったら、毎日毎日恐怖に震え、そんな生活を続けるうちにぱっとこんな考えが浮かぶと思います。「何もかもどうでもいい、もうどうなってもいいから、死にたい。早く死んで楽になりたい」と。それでも、自分から命を絶つ勇気もなく、どうしていいか分からなくなり、人間とは思えない生活を続けることになるでしょう。私はこんなふうになるのに、アンネはきっと一日一日を大切にしていたと思うし、「今日」という日を生きることができたことに対してさえ感謝していたのではないかなあと思います。アンネの周囲の人々も、なぜそこまで他人のために自分の危険を顧みず親切にしてあげることができるのか、私にはわかりませんでした。もうそれは親切の枠を越えていると思うし、親切ではなく何なのかと言われると少し困りますが、言葉ではうまく表現できない、愛に近いものだと私は思います。(中略)今はアンネと比べ物にならないほど子供のような考え方の私も、いつかアンネやその周囲の人々に負けないくらい広い視野や世界観を持った人になりたいと思いました。
(3年生の感想)
私がこの講堂朝会で一番驚いたことは、当時ユダヤ人というだけで600万人もの人が亡くなったということです。こんなにも多くのユダヤ人が亡くなったなんて知りませんでした。同じ地球の上に住んでいる人間が理由もなしに普通の人を殺すなんて、私はおかしいと思いました。
現代の平和な日本で生きる私たちには、アンネ・フランクのような経験をもちろんしたことがないから、すべて分かるわけではないけれど、本からは戦争や人種差別の愚かさや醜さを感じることができました。将来が、夢と希望に満ち溢れている生活から急に、ナチスの迫害を受けて生活が激変してしまった時、ナチスへの恨みや死への恐怖を毎日感じながら生活するなんて、私にはとてもできないと思いました。私と同じくらいの年の子が、ユダヤ人というだけで、こんなにも苦しい思いをしていたということを知り、なんだかとても胸が苦しくなりました。でも、アンネ・フランクが隠れ家で生きていられたのは、周りからの援助があったからこそなのだなと思いました。もしばれたら自分もつかまってしまうのに、そんな危険を抱えながらもユダヤ人を守るなんて、とてもすごいし、私にはとてもまねできないと思いました。何よりこの「アンネの日記」を読んで、私は平和な日本に生まれて良かったなぁと改めて思いました。そして同時に、世界から戦争や紛争がなくなってほしいです。
ユダヤ人が大勢亡くなったという歴史は消すことができないし、消そうと思っても消えません。だからこそ、この過去を深く受けとめ、もう二度とこのようなことを繰り返さないようにすることが、今やるべき最も大切なことだと思います。