火曜の7時間目。
クラブの時間です。
昨日は、1年生が初めてクラブに参加する日でした。
どきどきしながら参加する1年生を、どこのクラブの温かく迎えたことでしょう。
公式ブログにも、クラブの様子が紹介されています。
ぜひご覧ください。
美術クラブは、写生に励んでいました。
スケッチブックを持って。
いい絵が描けたかな?
昨日1年生に質問されました。
「校長先生は生徒の時、何部だったんですか?」と。
はいはい、私は、「視聴覚クラブ』というクラブに6年間所属していたんですよ。
今、視聴覚クラブというクラブは存在しませんが、
私が生徒の頃には、
映画を見たり、テレビ番組について学んだり、
夏休みにはテレビ局の建学の旅行にも出かけた、
結構活発なクラブでした。
顧問の川合良治先生から
テレビカメラの撮影の仕方を学び、編集の仕方を学び、
最終的には高校2年生の時にテレビ番組をつくって、
NHK杯全国高校放送コンテストに出品。
まだカメラもでっかくて、カセットではなく、オープンリールのVTRでした。
機材を4階の部室から運び出すだけでも重労働。
けれど、やりがいのある活動でした。
高校2年の時、自分たちの作ったテレビ番組が、
NHK杯全国高校放送コンテストの静岡県大会を無事通過し、
夏休み直前に、
「全国大会で3位以内に入賞した!」
というニュースが飛び込んで、
部員一同半信半疑で
「ほんとに?」「うそー!」
と驚き合ったことを覚えています。
大変名誉な成績でした。
「もしもしオーケストラクラブの佐野ですが」という、その作品は、
同級生でオーケストラ部のマネージャーを務めていた佐野仁美さんの日常を追ったドキュメンタリーです。
この年の規定テーマが「連帯」。
大所帯のオーケストラ部をまとめる佐野さんは、「連帯」というテーマにピッタリの存在でした。
しかも、佐野さんは中学時代同じ視聴覚クラブの仲間だったのです。
働き者で頑張り屋で笑顔が素敵な佐野さんは、
当時のオケの顧問三上先生から
マネージャーにと乞われ、
悩んだ末転身。
そんな佐野さんを、仲間だった私たちが主人公に取り上げたのでした。
オケの連帯の後ろに、私たちの友情も込められた作品・・・。
その熱意が、審査員の方にも伝わったのでしょう。
佐野さんは若くして亡くなり、今はもうあの頑張り屋さんの佐野さんに会うことはできません。
しかし、佐野さんを主人公に、
合宿もし、寝不足になりながら作り上げた番組は、
視聴覚クラブの仲間みんなの大きな誇りであり、宝物です。
そして、全国3位の成績は、大きなご褒美・・・。
同じ釜の飯を…と言いますが、
あの合宿を一緒に経験したメンバーは、
今も強い絆で結ばれています。
高校3年間務める「放送委員会」の仲間も同じ。
私は、高2の後期から生徒会に転身してしまいましたが、
視聴覚&放送のメンバーは、
かけがえのない仲間として、
今も年1回必ず再会しているのですよ。
1年生の皆さんも、クラブや部活動で、
かけがえのない仲間、
かけがえのない時間を
得ることができますように。