10:30より、講堂で行われた「戦後70周年 殉難学徒慰霊式」は、
平和の意味を深くかみしめる式となりました。
昨年よりご連絡をいただき、この日西遠に来校されるはずだった東京の橋本様。
戦争当時、西遠に通っていたお姉様が、動員学徒として鈴木織機に通っていました。
昭和20年5月19日、お姉様は、爆撃により防空壕の中で亡くなりました。
橋本様は、今日、西遠の生徒に対して語り部としてお話をしてくださることになっていましたが、
直前にお病気が分かり、ドクターストップがかかって、式に参列できなくなってしまいました。
そこで、橋本様の原稿をお預かりし、私が式の中で代読させていただくことになりました。
原稿の中には、お姉様が亡くなられた時のご様子も書かれていました。
鈴木織機の工場裏に大きな防空壕があり、警戒警報・空襲警報が鳴ると、皆さん、その防空壕に避難したそうです。
ところが、防空壕のすぐ横の水道管に爆弾が命中し、防空壕がその水で崩れ、泥水と土の中にお姉様たちは生き埋めとなり、亡くなられたのでした。
お父様が豊田町からリヤカーでご遺体を引き取りに行かれ、夕方遅くに帰宅されたそうです。
リヤカーにはお姉様がご自分で作られた肩掛けのカバンがあり、カバンの中にはグリンピースごはんのお弁当が手つかずのまま残されていました。
橋本様のすぐ上のお兄様は、戦後ずっと、グリンピースを絶対に召し上がらなかったそうです。
仲のよかったお姉様を失われた深い悲しみが伝わってきました。
橋本様は、「戦争はやりません。幸せは平和であることです。」と文を結ばれました。
橋本様の語るはずだったこのお話、私のつたない代読を聞いて涙した生徒もいたということです。
参列者の心に深く刻まれる内容でした。
橋本様、本当に渾身の原稿をありがとうございました。
一日も早いご回復をお祈りしております。
高校生徒会長の慰霊の言葉も、生徒代表の「平和の作文」朗読も、
若者たちのまっすぐな平和への思いが伝わって、私自身、感銘を受けました。
今日の式の模様は、この後、NHK静岡放送局の「たっぷり静岡」18:10~19:00でも流れるとのことです。
また、中日新聞・静岡新聞の取材も受けましたので、明日の紙面をどうぞご覧下さい。
新聞記者さんの取材を受ける高校生徒会長さん。