昨日の「殉難学徒慰霊式」の模様が、新聞とテレビで紹介されました。
NHKでは、首相会見のため遅れて18:40から始まった「たっぷリ静岡」と、20:45からの県内ニュースで、慰霊式の様子が流れました。
青空の下、愛の灯像が紹介され、式の冒頭の黙とう、高校生徒会長の慰霊の言葉、橋本様からの手紙代読、それを聞く生徒の横顔、そして生徒インタビュー。
短い時間の中にたくさんの内容を盛り込んできちんと起承転結があって・・・。
ニュース1つの中身の濃さと編集技術に感動しました。
中日新聞・静岡新聞の2紙にも取り上げていただきました。
記者の方々には連日の取材に頭が下がります。
新聞記事を何度も読み返し、テレビのニュースも何回か見返しながら、
西遠の生徒たちが「平和」について真剣に考えていることはとても大きな意味のあることなのだとつくづく思いました。
慰霊の言葉を述べた会長も、インタビューに答えた生徒も、作文を読んだ代表者たちも、若い自分たちにできることを一生懸命考えています。
また、新聞記事には、戦後50年の時に終わるはずだった慰霊祭を、生徒の手で続けようと頑張ってくれた卒業生の言葉も紹介されていました。
黄色いラインに身を包んだ10代の若いエネルギーが、次の生徒へ、次の生徒へと、脈々と「平和」への熱い思いを繋いでいるのです。
これは、崇高な伝統であると思います。
吉野弘さんの「虹の足」という詩を思い出しました。
バスの中から虹が出たのを発見し、
その虹の根元に当たる部分を見ると、
そこに村があり、家がある・・・という内容です。
その詩の後半を紹介します。
・・・・・おーい、君の家が虹の中にあるぞォ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていくことが・・・・・。
私がこの詩を思い出したのは、
西遠の生徒たちは、平和への思いを継承している崇高な伝統の中に自分たちが学園生活を送っていることを、もしかしたら気づかずにいるのかもしれない…と思ったからでした。
虹の中に自分がいることに気づかない村人たちと同じように…。
人は、自分の今いる場所について、その良さや素晴らしさに気づかないものなのかもしれません。
西遠の中にいると、西遠の歴史や伝統も当たり前のことであって、特別に意識することもないかもしれません。
しかし、それは『他人には見えて/自分には見えない幸福』なのではないでしょうか。
今回、慰霊式の記事をお読みくださったり、ニュース映像をご覧くださったりした方々から、
「西遠はすごいですね」
「いい伝統をお持ちですね」
「伝統を継承する、すばらしい生徒さんたちですね」
という声が届いています。
私たちは、こうした反響から、
先輩達から受け継ぎ、今自分たちが次の学年へと継承しようとしている、平和の尊さを伝えるバトンの重みを、
幸せなことだと感じていくべきなのではないでしょうか。
明日は、土曜日課です。
スマホ講座、HR展プレゼンテーション3・4年)等があります。
3年と5年のPTAもあります。
保護者の皆様、ご参加よろしくお願いします。
そして、生徒の皆さん、西遠にいることの意味をかみしめて、土曜のプログラムにも真っ直ぐ向き合ってくださいね。
実り多い日となりますように…。