5月2日に行われた中学講堂朝会の集会記録、ようやく提出してくれた生徒の皆さん全員にコメントを書き終わりました。
提出してもらってから、だいぶ時間がたってしまい、申し訳ないです!
おそくなってごめんなさい。
中学にとっては2回目の講堂朝会でした。
お話した内容を振り返りましょう。
◎生徒総会が、それまでの総会とは全く違う、とても積極的で活発な会になったこと。
◎講堂朝会の前日、以前私のクラスだった卒業生たちが西遠に会いに来てくれて、みんなで当時の学級通信「ハイホーハイホー」を読み返したこと。
◎私が今まで綴った「学級通信」の思い出。
◎学級通信は、担任とそのクラスの生徒だけの共有の財産になること。
◎書くことについての私の体験と考え。「同じ言葉を何度も使わないようにしよう」など。
◎14歳の中学生の投書の紹介。「今の日本語は危ない」という投書でした。
◎言葉を豊富にしないと、その人の思考が深まっていかないということ。
◎言葉を増やす努力をしてほしいということ。
中学生の皆さんの感想は、どれも読んでいて楽しかったです。
もちろんまだまだ稚拙な表現もあるし、誤字や主述の不一致もあります。
でも、私に提出することを意識して、「とても」「すごい」を連発しないように気をつけて書いている様子が分かりましたし、
今まで考えもしないで読んでいた「学級通信」に取り組む先生方の思いに気づいてくれたり、
卒業生がたくさん訪れる西遠という学校に誇りを持ってくれたり、
不器用な表現ながらも、みんな一生懸命感想を綴ってくれていました。
51回卒業生の1年雪組メンバーを校内で見かけて、「カッコいい姿だと思った」と書いてくれた生徒もいました!彼女たちが聞いたら、泣いて喜ぶでしょう。
集会記録を読んでいると、「私は書くことが苦手です」という人が多かったです。
書かされている意識だと確かに「書くこと」は苦痛でしょう。
自分で誰かにこういうことを伝えよう!というふうに考えると、
自然と相手を喜ばせたいとか、退屈しないような表現にしよう、と考え始めるものです。
どう書いたら、この面白さを伝えられるかな、笑ってくれるかな、と考えると、おのずと表現方法にもイタズラ心からの工夫が生まれると思います。
作文や感想文、集会記録を書く時、それを読む人の存在を想像できることが、
書くことのスタートなのではないでしょうか。
集会記録には、私が読むことをちゃんと意識して、語りかけるように書いてくれた生徒が多く、読みながらいっぱい返事を書きたい衝動にかられました。
また、小学生の時に、文章を書く時の注意や助言をしてくださった先生に、今改めて感謝の気持ちを綴った生徒もいました。
そういう出会いがあったことは、その生徒にとって本当に幸福なことだと思います。
私も小学校時代の恩師への感謝を新たにしています。
それでは、集会記録の抜粋を「続き」で紹介致します。
中学生たちのかわいい感想をどうぞお読みください。
なお、講堂朝会の内容は、このブログの5月2日「連休前の土曜日は」でも触れています。
その前日、たくさん集まってくれた卒業生のお話は、
5月1日「GW、卒業生来校 3」をご覧ください。
5月2日講堂朝会の集会記録より
1年生
☆校長先生のブログを見ると、卒業生の方たちがたくさん遊びに来ている姿が載っています。そして、とても楽しそうです。卒業生がたくさん集まると、「あのときは~だったね」とか「~したとき楽しかったね」とか、思い出話をしたり、その頃に戻ったような気がしたりすると思います。そして、その頃のことを思い出したり振り返ってみたりする、とても良い機会だと思います。そして、私もまだまだ先ですが、この西遠女子学園を卒業する日が来ます。卒業した後、みんなで集まって思い出話をしたり、この学園に遊びに来たりするのもいいなーと思いました。
☆「いろいろな言葉を知ろう」というお話をお聞きしました。同じ言葉ばっかり使うと、自分も育たないことを知りました。言葉を知らないと、自分が思っていることもうまく伝えられない(自分の気持ちを言葉で伝えることができない)ことになってしまいます。とても残念だし、自分の気持ちが伝えられなくなると、風邪を引いた時、どんなふうに痛いのか言えないで、薬をもらう時に本当に合っている薬なのか分からなくなったりすると思うので、私はいろいろな言葉を知っていきたいと思いました。
2年生
☆このゴールデンウィーク中、先生が話してくれた学級通信のことが気になり、去年のクラスの学級通信を探して読み返してみました。学年スポーツや入寮、そして普段の生活の写真をたくさん貼ってくれていました。読み返すと、面白いところや懐かしいところがたくさんあって、すごく良かったです。先生が、1年間どれだけ私たちのことを楽しませようとしていたかが伝わってきました。
☆先生は、言葉をもっと自分の中で増やすということをおっしゃっていました。その話を聞いて、ふと自分の小学生時代のことが甦ってきました。それは、小学4年生の頃。私の担任の先生はレポートや作文を書くたびに言っていました。「すごく」「とても」「よかった」「いろいろ」「いっぱい」はあまり使ってはダメだということ。なぜなら、言葉が小さくなってしまうから、と。「いろいろなことが分かり、良かったです」と書くと、先生は「いろいろなこととは何ですか?」と聞き、私が「〇と〇です」と言うと、「じゃあ、いろいろじゃなくて、〇と〇が分かりました、と書いてください」と。また、良かったとは、どのように良かったのか、最後までしっかり書くということを私に告げました。当時は意味が分かりませんでした。でも、今回の講堂朝会で、この疑問がようやく解決しました。当時、先生は、私たちに「言葉を増やし、知識を高めなさい」そういうことを伝えたかったのでしょう。言葉を多く使って、楽しめ、ということを。今回の講堂朝会の話を聞けて、ためになりました。
3年生
☆この間の生徒総会は、すごく活発で、楽しかったです。校長先生に一言言われただけで、あんなに活発になるとは思っていませんでした。しかし、生徒会の執行部のみんなは、原稿ばかりを見ずに、前を向いて話すこと、いつもの決まった堅苦しいものではなく、明るいものにすることなどと変わっていたし、司会の2人もあまり原稿を見ずに話していたし、聞いている人も、寝ずに、たくさん発表をしていて、いい雰囲気でした。1,2年生は、発表したいことがあっても、先輩が発表しないと発表できないこともあると思うけれど、3年生がばんばん発表していたので、発表もしやすかったと思います。これからも、ただ聞いているだけの生徒総会ではなく、みんなが活発に話し合える生徒総会になっていくといいと思いました。
☆「すごい」「とても」は文中に何度も使わずに、1回しか使わないようにすると、言葉のレパートリーが増える、とおっしゃったときに、私は小学生の頃を思い出しました。私は、校長先生と同じで、文を書くことが好きでしたが、いつも「とてもすごかった。すごい勉強になった」というふうに何度も同じような言葉を使っていて、文がまとまらなくなっていました。でも、その時に、母や小学校の先生が「感情を表すときは、とてもとか、すごくとかを使っていても、相手にはしっかりと伝わらないし、伝えられないんだよ」と言ってくれました。本当にその通りだし、これから先、「すごい、とても」などしか使えない人になりたくないと思いました。「すごい、とても」を使わずに、他の言葉で表現できる人の方が、将来役に立ち、人生も変わって来ると思います。ずっと努力していけば報われるし、このような良い機会を得たからには徹底的に言葉のレパートリーを増やしていきたいです。