4年菊組の思い出

ニュースで、「エルトゥールル号事故から125年」が報じられています。
125年前、トルコの船が和歌山県沖で遭難、その時に救助にあたってくれた日本人への感謝を、トルコでは今も語り継いでいます。
30年前、日本人もまた、トルコの航空機により助けられたことがありました。
イラン・イラク戦争で、テヘランに駐在する日本人が取り残されてしまったとき、トルコから一機の飛行機が日本人救出に飛来してくれたのです。
なぜ、トルコの人々は、日本の人々を他国まで助けに行ってくれたのか。
エルトゥールル号のことを知る日本人が少ないため、トルコの人々の温かい気持ちの根底にあるものを知らないまま年月が過ぎて行きました。
このトルコと日本の交流を紹介したのは、
私自身が「トルコ」に思い出があるからです。
それは、今から4年前、4年菊組の担任だったときのことです。
まさに6月、我がクラスのHR展テーマを決めるパネルディスカッションが行われ、
「桜」「チャップリン」そして「トルコ」の3つのテーマで激論が繰り広げられたのです。
「トルコ」の提案者のMさんは、本当によく「トルコ」について調べていました。
クラスメイトは皆、Mさんのお陰でトルコについてたくさんの知識を伝授してもらいました。
エルトゥールル号のことも、彼女の熱い説明を受けたことを覚えています。
あのときのパネルディスカッション、とても深い話し合いができ、どのテーマのよさも伝わって、
パネルディスカッションのあと、かえって「どのテーマも落とせない」という気持ちになりました。
クラスは「桜」でHR展を行うことに決まりましたが、私は今でも、あとの二つのテーマでもHR展をやってみたかった!と思っています。
特に、「トルコ」については、Mさんのお陰で親近感を抱くようになり、気になる国のひとつになりました。
ニュースで、トルコと日本の交流が伝えられ、今夜もまた4年菊組の思い出に浸ってしまっています。
あの年、4菊の一番の賞状は、パフォーマンス大会でした。
大ダコの足になり切って、ニョロニョロ踊ったメンバーたちよ。
みんなが匍匐前進で這い出した瞬間に、アリーナから悲鳴に似た歓声が上がったことを思い出すと、今もニタニタしてしまいます。

明日は、どんなパフォーマンスが飛び出すのでしょう。
それぞれのクラスや学年が、渾身のパフォーマンスを見せてくれる日、
それは、生徒の皆さんにも、ご家族にも、担任にも、強烈な思い出になっていつまでも心に残るのです。