「心はいつも新しく」外伝

「学園報」に高村光太郎の山荘を訪ねた時のことを書きましたが、
明日5月15日は、高村光太郎が花巻の太田村へ疎開した記念日なのだそうです。
昭和20年、空襲で東京の家を失った光太郎は、
宮沢賢治の家族を頼って東北の地に疎開、
最初の数か月を山口小学校の宿直室で過ごし、
その後、今は「高村山荘」として保存されている小さな小屋で晩年を過ごしました。
(「学園報」に書いたとおり、私は大学時代、光太郎の足跡を訪ねた折に、偶然にも、その宿直室でお茶をごちそうになったのでした。)
今も、地元では、毎年5月15日に「高村祭」を行っているそうです。
山村へ疎開した光太郎を地元の人々がいかに温かくもてなしたかが、
祭りの名前からもうかがわれます。
先ほど、インターネットで「高村祭」のポスターを見ましたが、
今年は光太郎の詩集「道程」刊行100周年なのだそうです。
生徒の皆さんには、光太郎の詩はそんなに難しくないですから、ぜひ読んでもらいたいと思います。
私の好きなEテレの番組「にほんごであそぼ」でも多々紹介されていますよね。
さて、学園報の文章には、一人のおじいさんが登場します。
私にお茶を出してくれたおじいさんです。
そのおじいさんが別れしなに私にかけてくれた言葉
「学生さんや、心はいつも新しく。光太郎先生の言葉ですよ」
この言葉は今も心に響いています。
実は、このエピソードを何年も前に朝日新聞アスパラクラブに投稿したことがあります。
思い出の言葉を、書家の紫舟さんが書にしたためてくださるというもの。
私は思い出の言葉に「心はいつも新しく」を選び、文章にしました。
すると、私の文章を読んでくださった紫舟さんが、
思いを込めて「心」一字を書いてくださったのでした。
それが、校長室の壁にかかっている、「心」の字です。
             ↓この字です。

今となっては、アスパラクラブへの投稿も
自分でどこを開けば読めるのかわからないというお粗末な話ですが、
この字だけは大事な宝物として私のもとにあります。
「心はいつも新しく」という言葉は、
この書となって、
校長室でいつも私を見守っていてくれるのです。