「諸君大いにぶり給え」
諸君!もっとぶり給え!
淑女ぶること!西遠の生徒ぶること!上級生ぶること!
ぶっている中に、それが自然に身について本物になってしまう。意識しなければ出来なかったことが、無意識の中に出来るようになる。
レディーぶること!西遠の生徒ぶること!ぶることは誇りを持つことに通ずる。
諸君!何事にも大いにぶり給え!
この言葉は、昭和37年12月に発行された「友情」67号で出会った言葉です。
但し、浅井先生ご本人の文章からの抜粋ではありません。
昭和11年に西遠に就職された浅井先生は、バレー部の顧問としてご活躍され、西遠バレー部の名を全国的に広めました。
学園の中心となって教育に励んでいらした浅井先生ですが、昭和37年11月、51歳の若さで急逝されたのでした。
「友情」67号は、急逝された浅井先生の追悼号でした。
多くの方々の悲しみが詰まった号です。
上記の言葉は、先生の教え子だった卒業生の村井様の文章の中にあったものです。
熱い情熱を持って生徒に接したことを偲ばせる
浅井先生ならではの「ぶり給え」という言葉。
多くの教え子の胸に今も刻まれているのではないでしょうか。
当時の「友情」の表紙は、本校教員だった佐々木松次郎先生による絵です。
松次郎先生は、郷土の画家としてもご高名な方で、西遠の中には松次郎先生の絵がたくさん飾られています。
講堂の老校長先生像ももちろん松次郎先生の筆によるものです。
生活会館1階の壁にたくさん掛けられたマリア様などの絵、本館正面2階のステンドグラスなど、松次郎先生の絵は西遠に欠くべからざるものです。
卒業生の先輩の皆様には、浅井先生、佐々木松次郎先生、お二人とも大変懐かしい恩師なのではないでしょうか。
古い「友情」をたどると、こうした先生方の情熱や闘志がひしひしと伝わってくるのを感じます。